弁当屋で総菜を買い、アパートの2階の私の部屋をめざす。弁当が温かい。彼女の11歳のとってもかわいいおしりはもっと温かいにちがいない。だが彼女はアイドルだ。私が好きなのはアイドルである。実際におしりをさわることは千パーセント不可能なアイドルの女の子が好きなのだ。でも彼女たちの手の温もりだけは現実に体感することはできる。「ゆるされている」のではない。アイドルの定義の中において、たんにそれが可能なだけだ。だから現実の女子小中学生の女の子にはまったく興味はない。興味があるのはアイドルである。
世間というものが誤解の巣窟であることは中学の時からとっくに私は受け入れている。女子小中学生の女の子の(ある特定の人たちから見れば)いやらしいDVDや写真集を持っているやつは変態のロリコンで、きっと現実の女子小中学生の女の子を襲うにちがいない。だから警戒が必要だなどという恐ろしい錯覚に今この町はおちいっている。登下校時は必ずとちじいと同年代かやや下の年金生活者の男たちが緑のチョッキを着て町を“警戒”して回る。警戒するべき相手は私のようなオタクではないという事実を彼らは受け入れようとしない。私の風貌は彼らにって、現実の女子小中学生の女の子を襲うにちがいない恐ろしい男であることは、彼らが私に刺す視線でわかる。いっとくが、私は妄想家ではない。著作を読む限り間違いなく変態ロリと強姦に興味があるであろうじじいを知事に投票したことは、彼らの中では矛盾しない。私の中学では野球部とサッカー部と剣道部の三年生5人が新入生の女の子を入学式の3時間後に輪姦したが、野球とサッカーと剣道を規制しようという声は上がらない。私と同年代の、甲子園をわかせた例のモテ顔のプロ野球選手が12歳の現実の女の子に手を出そうとした事実もとっく忘れ去られた。私が生まれ育った国ではスポーツと武道は優れた人格形成の手段であり、選手は人間として格が上であるという幻想でなりたっている。おかげでスポーツが苦手で関心のない私のような男子はおおいに迷惑し、劣等感を植え付けられる。その劣等感が反動となって高校以降の私を極端に走らせた。自分を押し殺して私は長く生きてきた。無軌道な若者をもっと警戒すべし。
しかし今、私は自由である。自分をとりもどした男は強い。私はがんばったのだ。がんばった私は今、13歳の女の子のサイン入りの写真集とDVDと11歳の女の子のサイン入りのDVDが入ったバッグとともに2階のアパートの私の部屋のカギを開けた。私の両手は下ろしたての薄手の白い手袋で覆われている。私の心拍数が再び上昇を始めた。
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